激痛で目を覚ますと一歩も動くことができなくなっていた
初めて腰痛を感じたのは45年以上前。当時はぎっくり腰ではなかったものの仕事で重たい荷物を運ばなければならなかったため、毎日が苦しかった。
初めてのぎっくり腰は30年くらい前。 夜中の2時頃に激痛で目を覚ますと一歩も動くことができなくなっていた。当時は近所のカイロプラクティックで診てもらった。診てもらってからは一度もぎっくり腰はやらなくなり、腰痛の症状もかなり楽になった。その後もカイロプラクティックでメンテナンスを続けていたが、その先生が7年前に引退。それ以来、特に身体のケアはしてこなかった。
身体のケアをしなくなってから約1年が経った頃、左脚に痺れが出た。歩けないほどではなかったが不安になったのでいくつかの治療院に通いながら、だましだまし生活をしてきたが、当院に来院される10日前くらいから腰に今までとは違う違和感を感じるようになった。
寝起きに固まっているのはいつもと同じだったが、歩いていても腰に響く痛みがあった。 姿勢では今まで違和感がなかった中腰の姿勢がもっとも強く痛みが出た。また、寝返りをうつと腰に響いてしまい、睡眠の質にも影響してきた。 この頃から右膝にも違和感を感じ、イスから立ち上がる瞬間や階段の上り下りで痛みを感じるようになった。
当院のホームページを見た時に最初に通っていたカイロプラクティックの先生が使っていたベッドと同じものがあったので、ここなら大丈夫ではないかと思い、当院に来院された。
右仙腸関節の明らかな可動域制限
腰部起立筋の過緊張
背部から頸部にかけての緊張
初診時の状態では、右骨盤の明らかな可動域制限が見られた。症状は腰痛と右膝の痛みがあった。骨盤の可動域制限から腰に必要以上の負荷がかかり、腰部の起立筋が過緊張の状態だった。
また、痛みをかばって生活をしていたので背部から頸部にかけても過緊張が見られ、頭部の傾きも強く見られた。体表温度検査では腰椎5番と骨盤部が顕著に見られた。レントゲン評価では椎間板の段階は慢性的なD4レベルが確認された。特に腰椎5番の椎間板は顕著に確認され、重度の骨盤の傾きも見られたため初期集中期の段階では週2回のケアから開始した。
ケアを始めて1週後(2回目のアジャスト)には、膝の痛みはまったく気にならなくなった。2週目後(3回目のアジャスト)には、腰部の起立筋や頸部の緊張が明らかに緩み、中腰の姿勢でも違和感を感じなくなってきた。3週後(5回目のアジャスト)には、寝ている時に寝返りをうっても違和感を感じなくなり睡眠の質も向上がみられた。 この段階で週2回のケアから、週1回のケアへ間隔を広げることができた。
4週後(6回目のアジャスト)には、寝起きの30分コルセット無しでは動けなかったものが10分程度で動けるようになった。現在は寝起きの10分の違和感を解消するため、治療の間隔を3週間に1度のペースに広げてカイロプラクティック・ケアを続けている。
今回の腰痛や右膝の痛みの症状は重度の骨盤の可動域制限からきていたものと考えられる。また、長期間に渡って骨盤の可動域制限や傾きがあったことから腰部の椎間板に負担がかかり腰の神経に大きな負荷がかかっていた。
骨盤は人間の体の土台となる部分なので、土台が揺らぐことで背中や首の緊張に繋がっていた。 また膝にも過度な負担がかかり痛みが出てしまっていた。レントゲン評価では椎間板の段階はD4レベルでとても慢性的だった。 通常、腰部には前弯カーブが付いているが、長年の骨盤の傾きから腰の前弯カーブも消失しており、腰の神経系へさらなる負担となっていた。
椎間板のレベルや前弯カーブの消失から見ても、かなり前から骨盤部のサブラクセーションがあり、体の情報が脳へ届いていなかったため治癒する力が働かず悪循環に陥っていた。
アジャストメントによりサブラクセーションが取り除かれ、体の情報が脳へ届いたことで腰痛や右膝痛の改善に繋がったと考えられる。
執筆者前田 一真
神奈川県藤沢市出身。2007年から2016年の間、某大手運送会社で統括運行管理者として勤務。その中で遭遇した数多くの事故を通じて、命の尊さや体調管理の重要性と向き合う。歩けないほどの腰痛に見舞われるが、カイロプラクティックを受け改善。カイロプラクティックを学ぶことを決意しシオカワスクール入学にする。現在は塩川カイロプラクティック治療室で副院長として施術を担当し、地元である神奈川県藤沢市での施術も行っている。また48年続くシオカワスクールでは講師/インストラクターを担当し、後任の育成にも力を入れて活動している。