塩川カイロプラクティック塩川カイロプラクティック

塩川 雅士 D.C.
塩川 雅士 D.C.Masashi Shiokawa

1980年、東京都生まれ。17才で渡米後、2004年パーマーカイロプラクティック大学を優等で卒業。D.C.の称号取得。米国ナショナルボード合格。日本カイロプラクティックリサーチ協会(JCRA)役員。2005年からカイロプラクターを育成する学校の運営と講師に携わり、現在、年間約300時間の講義やセミナーなどの活動を全国で精力的に行っている。

1998年
17歳でアイオワ州へ渡米
2004年
パーマーカイロプラクティック大学を優等で卒業・米国連邦政府公認 D.C.(ドクターオブカイロプラクティック)
2005年
豊田自動織機の女子陸上部員、千葉真子選手の専属トレーナーを経験
2006年
新橋の塩川カイロプラクティック治療室にて勤務・塩川スクールにて講師として勤務
2008年
著者ジョセフB.ストラウスD.C.の本「カイロプラクティック哲学」を翻訳し出版
2010年
銀座へ治療室の移転

カイロプラクティックが持つ
無限の価値を知って頂きたい。

はじめまして、米国政府認定カイロプラクターの塩川雅士です。

当院は、1972年に先代・塩川 満章 D.C. により新橋にて開業され、銀座周辺はもちろん全国各地から口コミによる紹介で沢山の患者様にご利用いただいております。また、カイロプラクティックに従事する人が、安全性と信頼性の高い施術が行えるよう、専門スクールの運営により全国各地にカイロプラクターを輩出してきました。全ての患者様と共に、これからも、銀座/新橋エリアをベースにカイロプラクティックの普及に励んで参ります。

私がカイロプラクターになった大きなきっかけは、父がカイロプラクターであった事です。幼少期のときから父の背中を見て育ち、カイロプラクティックが当たり前の環境で育ちました。大きな病気やけがをしたことがなかったのは、父のおかげだと感謝しています。

将来のことを考え始めた高校一年生の最後の休みに、父の治療室を訪れました。そこで、数分前まで苦しそうにしていた患者さんが魔法にかかったみたいに笑顔で帰っていく姿を見て衝撃と感動を受けカイロプラクターの道を決めました。たくさんの人から感謝され、必要とされている父の存在は私の憧れでもありました。

そして高校2年でアメリカへの語学留学に挑戦しました。最初の1年は、環境や考え方の違いから戸惑うこともあり苦労しました。学校では、陸上競技部に所属し、早朝から陸上部の練習、夜は学校の宿題やテスト勉強に追われる毎日でした。

今考えると、その高校生活の2年が私のカイロプラクティック人生に大きな影響を与えたと思います。日本にいた時の私は、何か目立った才能や、人をひきつけるような魅力などはありませんでした。しかし一生懸命に走っている自分がチームに貢献し、監督やチームメイトから感謝される選手にまで育ててもらいました。その時に人から感謝されることは、どんな苦難にも立ち向かう事の出来るパワーを与えてくれることを知りました。カイロプラクティックを通じて、毎日患者さんと互いに感謝し合える、こんな素晴らしい仕事は他に考えることができません。

だから私はカイロプラクティックという仕事を選びました。そして、私がカイロプラクティックという仕事を絶対にあきらめない理由は、“カイロプラクティック哲学”という学問に出会ったおかげです。

人間の持っている素晴らしい力の存在をカイロプラクティック哲学から学びました。人間の内に秘めた素晴らしい力の存在に気づくことが出来れば、どんなに苦しんでいる人でも希望を持つことが出来る。

本当にカイロプラクティック哲学から、自分の体に対して感謝の気持ちと、人間の治る力に素直に感動することができ、人間の無限の可能性に希望を持つことができました。

私の思いは、1人でも多くの人にカイロプラクティックの持っている無限の価値を知っていただき、皆さんの人生にとってカイロプラクティックが大切なものとなるようになることです。そして感謝、感動、希望にあふれるそんな社会を目指しています。

前田 一真
前田 一真Kazuma Maeda

神奈川県藤沢市出身。2007年から2016年の間、某大手運送会社で統括運行管理者として勤務。その中で遭遇した数多くの事故を通じて、命の尊さや体調管理の重要性と向き合う。歩けないほどの腰痛に見舞われるが、カイロプラクティックを受け改善。カイロプラクティックを学ぶことを決意しシオカワスクール入学にする。現在は塩川カイロプラクティック治療室で副院長として施術を担当し、地元である神奈川県藤沢市での施術も行っている。また48年続くシオカワスクールでは講師/インストラクターを担当し、後任の育成にも力を入れて活動している。活動報告はこちら

2017年
Shiokawa school of chiropractic 本科入学
トムソンテクニック教室 修了
2018年
スクール在学時に塩川カイロプラクティック治療室 勤務
ガンステッドセミナー 修了
頭蓋骨クレニオセミナー 修了
2019年
Shiokawa school of chiropractic 本科卒業
2020年
ガンステッド初級コース インストラクター担当
2021年
ガンステッドセミナー インストラクター担当
2022年
CLセミナー インストラクター担当
パルペーション教室 講師担当
塩川カイロプラクティック治療室にて副院長に就任

正しいカイロプラクティックケアで自身の治る力に感動してもらいたい。

はじめまして、塩川カイロプラクティック治療室 副院長の前田一真です。

当院は、日本カイロプラクティック界のパイオニアである塩川満章D.C.によって1972年に開院された歴史があります。口コミによって関東圏はもちろん、全国各地や海外からの患者様にもご利用いただいております。患者様がより安全に施術を受けていただけるように体表温度検査やレントゲン評価などを用いた専門性と安全性のある施術を心掛けております。

まずご挨拶として、私がカイロプラクターを目指すきっかけからお伝えさせていただきます。

私は某大手運送会社で統括運行管理者として約10年間働いておりましたが、2年目を迎えた頃、歩けないほど腰を痛めてしまいました。

そこからの1年間で、病院、整体院、接骨院、針鍼灸院など30件を超える医療施設を訪れましたが、症状は一向に改善されませんでした。少し良くなっては仕事に復帰して、また腰を痛めて歩けなくなりを繰り返していました。

当時、お世話になっていたお客様にこういった事情で転職を考えていますと相談したところ、「ここの先生すごいから騙されたと思って行ってみて」と紹介されたのが、カイロプラクティックの先生でした。

施術を受けて3回目には1年間歩けないほど苦しんできた腰痛に回復の兆しが見え、そこからは施術を受けるたびに自身の身体が強くなっていくのが分かりました。私はすぐにカイロプラクティックに魅了され、自身の体が持つ治る力に感動しました。また日々の健康に感謝することができました。

ただ、それがカイロプラクターを目指すきっかけになったかというとそうではありません。

私は自身の体調が回復したあとも、身体の予防メンテナンスとしてカイロプラクティックケアを約7年半続けてきました。当時私がお世話になっていたカイロプラクティック院に来ている患者様を見ていると、皆さん『笑顔』でした。

身体になにかしらの不調があって通っているはずなのに、「この笑顔が出るのはなぜなのだろう?これは一生の仕事にする価値があるのではないか?」と思うようになったのがきっかけです。

私は当時すでに33歳になっていましたが、何も行動せずに諦めることが嫌で先生に相談したところ、「本気でやりたいなら東京に塩川先生という凄い先生がいるから、紹介してあげるので塩川先生の下で学びなさい。」と紹介してくださり、翌年の4月から当院が運営するシオカワスクールに入学した経緯があります。

その後、スクール2年生を迎えるころには「塩川カイロプラクティック治療室」に内弟子として入り、現在では副院長を任されるまでになりました。

私は、当院が運営する日本最古のカイロプラクティック学校「シオカワスクール」で講師/インストラクターを務め、後任の育成にも力を入れております。

私自身が腰を痛めていた当時、「このままだと、いずれ歩けなくなるのではないか?」と不安に思っていたのと同じように、どこへ行ったらいいか分からず不安に悩んでいる人が全国にはたくさんいらっしゃいます。

そんな方々が、日々の健康に感謝し、自身の治る力に感動し、これからの人生に希望を持てるように、全国各地に正しいカイロプラクティックケアを普及させていくことも私たちの使命だと考えております。

また私は地元である神奈川県藤沢市での施術も行っておりますが、2023年4月には藤沢駅前で開院が決まっており、【銀座と藤沢】両輪で精力的に活動しております。

地域住民の皆様が、笑顔溢れ、心豊かに、幸せな毎日を送れるようカイロプラクターとして尽力してまいります。

八木 俊樹
八木 俊樹Toshiki Yagi

千葉県成田市出身。大学卒業後、空港で貨物の輸出入に携わる書類手続きなどの通関業務関連に従事。デスクワークの時間が長く、首を痛めて仕事・趣味に影響が出たことをきっかけにカイロプラクティックを受け、症状が改善。以後1年以上経っても首に痛みや不安が出ずに感動を覚える。同じような悩みを抱えている人が周りに多くいる中で、何かできることはないかという思いが強くなり、カイロプラクティックの世界に飛び込むを決意し、シオカワスクールへ入学。

2015年
Shiokawa school of chiropractic本科入学
2016年
スクール在学中に江東区のカイロプラクティック院に勤める
2017年
Shiokawa school of chiropractic 本科卒業
Gonstead seminar 修了
トムソンテクニックセミナー修了
2018年
江東区のカイロプラクティック院を退職
2019年
塩川カイロプラクティック勤務
2020年
ガンステッド初級コース インストラクター
2021年
ガンステッドセミナー インストラクター

カイロプラクティックケアで希望に溢れた未来を実現させます。

千葉県成田市出身。大学卒業後、空港で貨物の輸出入に携わる書類手続きなどの通関業務関連に従事。寝違えてしまうことが多く、月に1回は起きた時から痛みが始まり、またなってしまったと気持ちが沈みました。なぜなら、それが1週間以上痛みが続いてしまうことがわかっていました。

デスクワークの時間が長く、首を痛めた状態では仕事・趣味に影響が大きく出てしまうことばかりで、憂鬱な日が続きました。知人に会っていた時に振り向き方がおかしかったのか、笑いながらカイロプラクティックを勧められました。名前は知っていたくらいで、整体?と聞き直すくらいの知識でした。もちろんその前に、病院行っていましたが注射を打たれても痛みが引くような感じはなかったことですぐに予約をしました。

数か月程で症状が徐々によくなりました。それは、以後1年以上経っても首に痛みや不安が出ませんでした。前は、あんなに不安のなかで就寝していたのが信じられませんでした。友人にも様々な体の悩みを抱えている人がいて、身体が良くなって何かを始めるきっかけを作れたらみんな楽しめるのではないかと。ただそれだけでカイロプラクティックの世界に飛び込むを決意し、シオカワスクールへ入学。

今では、インストラクターとして治療院を開いている先生に対してテクニックを教えるくらい勉強してきました。 一緒に学んでいく先生方と共に、今以上に成長し続けたいと思います。
患者様正確な検査から根本原因を見つけていきます。感謝・感動・希望という塩川カイロプラクティックの理念とともに、皆様をサポートさせていただきます。

金城 寿生
金城 寿生Kazuma Kinjyo

沖縄県糸満市出身 趣味はスポーツ観戦。柔道整復師の資格を取得し、接骨院やクリニック勤務を経験。良くならない患者や画像データに疑問を抱き東京カイロプラクティックカレッジに入学。休日を利用しカイロプラクティック界のパイオニア的存在である塩川カイロプラクティックスクールに参加し、塩川カイロプラクティック治療室での研修を経て入社に至る。塩川カイロプラクティック治療室の研修にて、人の治る力を何度も目の当たりにし、カイロプラクティックの素晴らしさを改めて実感。出会った皆様に提供していきたいと思います。

2010年
柔道整復師免許(国家資格)取得
接骨院や整形外科にて勤務
2017年
ハワイ解剖実習修了
2022年
CCEA(アジア大洋州カイロプラクティック教育審議会)国際認証校 東京カレッジ・オブ・カイロプラクティック(旧豪州ロイヤルメルボルン工科大学(RMIT)日本校 卒業
Doctor of Chiropractic 取得
Gonstead seminar 修了
2023年
塩川カイロプラクティック治療室勤務

カイロプラクティックを深く追求し出会った皆様に提供していきます。

はじめまして、塩川カイロプラクティック治療室 金城寿生(きんじょうかずま)です。

私は小さな頃から口数の少ない父親の職人としての背中を見て育ってきました。トラックやショベルカーを運転し黙々と作業を進めていました。実家の私の部屋も父親と私も手伝い増築しました。作業が終わり時のみ仕事仲間や依頼者とクシャっと満面の笑顔で笑い合う姿を見て、人の役に立つ生涯現役で行える仕事がしたいなと思いました。その後、手に職を付けたいと思い人の役に立てると考えた、当時沖縄に出来たばかりの柔道整復師養成学校に入学したのが身体に携わるスタートとなります。

その時はカイロプラクティックの名前は聞いたことある程度でした。学校を卒業後、まずは西洋医学的な知識や技術を習得しようと上京し都内の接骨院、埼玉の整形外科クリニックで勤務し、週末の休みを利用し講習会への参加や救急クリニックでの研修を重ねて骨折・脱臼の整復、怪我の処置から腰痛やシビレなどのリハビリをしてきました。怪我に対しては構造や組織学として最良の方法を検証してきましたが、腰痛やシビレなどに対して当時の私は『どうすれば痛みを無くすことが出来るのか』が全てでした。それこそ実際メスを握って出来る海外での解剖実習に参加する程です。治っていく患者さんが増えていく一方、先週治ったばかりの患者さんが「先生、またやってしまいました」と同じ症状を再発したり、私を信頼して毎日来てくれる患者さんがなかなか良くならず、最後には手術になってしまう方もいました。もっと良い方法があったのではないか。同じ疾患なのになぜ人によって治る経過が違うのか。画像上は全く問題ないのに、なぜなかなか良くならなのか。本当に現在行っていることが患者さんの健康のためになっているのか、そもそも健康とはなんだろうと疑問が生まれ悶々とする日々が続くことがありました。そんな時、たまたまインターネットの動画でカイロプラクティックの治療を見て、『なんだこれは!?』と衝撃が走りそこから海外や日本で活躍するカイロプラクターの記事などを読み漁り、東京に海外と同じWHO基準のカイロプラクティックの大学があることを知り、募集期限ギリギリで入学しました。

その後、授業を通じカイロプラクティックは治療法の1つではなく、哲学や学問があり1つの職業だと初めて知りました。またカイロプラクティックは病気を治療するのではなく、身体が正常に働くように調整することだと学び、健康への手がかりを掴めた気がしました。

そんな中、ガンステッドカイロプラクティックの存在を知り、日本では塩川カイロプラクティックスクールで指導していることが分かり、大学在学中から学校と仕事の休日を利用し参加することにしました。そこで塩川雅士先生と出会い、塩川カイロプラクティック治療室での研修で印象的だったのが、「痛みや症状は身体のシグナルですよ。消すことよりも自分の身体に耳を傾けてみて下さい。そうすると何気無い日常のなかで自分にとっての良いことや負担になっていたことを改めて発見出来るかもしれません」私が思い描いていたカイロプラクティックが塩川カイロプラクティック治療室にありました。また誰よりもカイロプラクティックが好きなことが伝わってきました。さらにカイロプラクティックを深く追求し健康への理解を深め、歴史ある塩川カイロプラクティック治療室の一員として出会った皆様に提供していきます。

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