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腰椎ヘルニア

腰椎ヘルニア

椅子から立ち上がる瞬間や歩き出しの5~6歩は痛みを強く感じていた

20代男性
来院に至った経緯

3年前、当時17歳のときに夜になると左脚に寝られないほどの痛みが出ていた。特に左脚のふくらはぎに強い痛みがあり、太ももの横に出る事もあった。動いている間はあまり痛みを感じることはなかったが、夜寝るときにじっとしていると痛みを強く感じて眠ることができなかった。 整形外科に行くと腰のヘルニアと診断され、そのまま手術となった。

手術後、病院のリハビリ施設や知人の整体院などに通い、3か月ほどで症状が改善された。 約3年間は一度も症状がでなかったが、4日前からまた左脚に当時と同じ症状が出てきて、夜眠ることができなくなった。

痛みの質はズキズキとしたもので左脚の太ももとふくらはぎに広がっていった。座っているのも辛く、椅子から立ち上がる瞬間や歩き出しの5~6歩は痛みを強く感じていた。これまでぎっくり腰などは体験したことがなかったが、3年前に手術をする前とまったく同じ症状だったので、これはおかしいと思い当院のホームページを見て来院された。

初診の状態
  • 01

    左仙腸関節の明らかな可動域制限

  • 02

    腰部起立筋の緊張

  • 03

    背部から頸部にかけての過緊張

経過と内容

初診時の状態では、左骨盤の明らかな可動域制限が見られた。 症状は腰痛と左脚の痛みがあった。 骨盤の可動域制限から腰に必要以上の負荷がかかり、腰部の起立筋が過緊張の状態だった。

また、痛みをかばって生活をしていたので背部から頸部にかけても過緊張が見られ、頭部の傾きも強く見られた。 体表温度検査では骨盤と首の上部が顕著に見られた。レントゲン評価では椎間板の段階は慢性的なD4レベルが確認された。特に腰椎5番の椎間板は顕著に確認され、また重度の骨盤の傾きも見られたため初期集中期の段階では週2回のケアから開始した。

ケアを始めて1週後(2回目のアジャス)には、症状が出てから仰向けでは膝を曲げていないと眠ることができなかったが、仰向けで脚を伸ばして眠れるようになった。2週目後(3回目のアジャスト)には、腰部の起立筋や頸部の緊張が明らかに緩み、左脚に出ていた痛みを感じなくなった。 3週後(5回目のアジャスト)には、腰痛や左脚の痛みの症状はほとんど改善された。この段階で週2回のケアから、週1回のケアへ間隔を広げることができた。

4週後(6回目のアジャスト)には、腰や左脚の痛みは改善され、睡眠もしっかりと取れるようになったが、長時間座ったときには左の骨盤が固まる傾向が見られた。

現在は、症状は完全に改善されたが、「もう二度と同じ症状で苦しみたくない、勉強に集中したい。」という思いから治療の間隔を3週間に1度のペースに広げてカイロプラクティック・ケアを続けている。


考察

今回の腰痛や左脚のふとももやふくらはぎの痛みの症状は重度の骨盤の可動域制限からきていたものと考えられる。また、長期間に渡って骨盤の可動域制限や傾きがあったことから腰部の椎間板に負担がかかり腰の神経に大きな負荷がかかっていた。骨盤は建物で言えば基礎の部分にあたり、土台がゆらぐことで腰だけではなく、背中や首にまで影響してしまっていた。

体表温度検査でも骨盤部と上部頸椎部が顕著に見られた。ここは副交感神経支配の部位で、副交感神経が圧迫されて、交感神経優位になることで睡眠の質にまで影響し、寝ても回復できない体になってしまっていた。

レントゲン評価では椎間板の段階はD4レベルでとても慢性的だった。17歳の高校生がヘルニアの手術をしたということは、椎間板のレベルから見てもかなり前から骨盤部のサブラクセーションがあり、体の情報が脳へ届いていなかったため治癒する力が働かず悪循環に陥っていた。

アジャストメントによりサブラクセーションが取り除かれ、体の情報が脳へ届いたことで腰痛や左脚の痛みの改善に繋がったと考えられる。

前田 一真

執筆者前田 一真

神奈川県藤沢市出身。2007年から2016年の間、某大手運送会社で統括運行管理者として勤務。その中で遭遇した数多くの事故を通じて、命の尊さや体調管理の重要性と向き合う。歩けないほどの腰痛に見舞われるが、カイロプラクティックを受け改善。カイロプラクティックを学ぶことを決意しシオカワスクール入学にする。現在は塩川カイロプラクティック治療室で副院長として施術を担当し、地元である神奈川県藤沢市での施術も行っている。また48年続くシオカワスクールでは講師/インストラクターを担当し、後任の育成にも力を入れて活動している。

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